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その答えは分からない。

相変わらず、メールの更新頻度は気まぐれ以上である。

それ以上に神様も気まぐれなのかもしれない。

小雨の降る今日、用があって市役所にて打ち合わせを行う。

事前に打ち合わせした資料を提出を持って。

今回色々用意したが、再調整することになったのですが・・・

その際、思いもよらぬ言葉が発せられる。

「この前お話されてました弟さんですけど、こちらに住まわれているようですよ」

『えっ・・・・、そ、そうなんですか?』

忘れてました、そんな話もしてたのよね・・・

いまさらながら、どうコメントして良いのか分からない。

彼の生い立ちは分からない。

彼の性格も分からない。

彼と会っていいのか分からない。

でも、その時は確実に迫っているようだ。

25年の時間の経過は俺と彼にどのような変化をもたらしているのだろうか。

同じ血の流れる、弟よ・・・

3週間経って

かあちゃん入院して早3週間。

ちゃんと、状況を上げようと思ってたけど、ままならずでした。

そんな自分を反省しながら、今の状況について

木曜にMRIを撮ったようで、土曜日見せてもらった

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

緊急入院した17日のMRIによる頭部の写真は衝撃だった

右側頭部前側の2/3が黒く澱んでいる。普通の状態でないことはすぐに分かった。

この時まだかあちゃんは、自力で立ち上がり、左側の手足の動きも変に思えなかった。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

容態が悪くなったのは、それから4日後のことだった、月曜帰った俺に翌日連絡が入る。

容態が悪いので、個室に入るとの事だった、翌日水曜21日に容態に関して医者から聞く

その内容は、手術の可能性があるかも知れないということだった、そしてその時と言うのは

植物人間として延命をするか、しないかと言うことだった。

そのときにまた考えてくれればいいですから、とお医者さん。

今でもそうだが、はっきり言って受け入れてない。そんな事は…だから、無視していた。

。。。。。。。

この日から、しばらく同じ病室で、付きっ切りとなる。

毎日、弱っているかあちゃんをみて、夜は常に「頭が痛い」とうなる横で

買ってきたノートPCを、無心で叩く。

かあちゃんは当然辛かったと思う。

横でその状況をリアルに見ていた俺も、無関心を装っていたが、

平常心なんて無かったと思う。正直、楽にしてあげた方が良いのかとも思う部分もあった

でも、俺のやることはすべてを受け入れ、見てあげることがやれることだと思って決め付けた。

。。。。。。。。。。。。

こうして3月に入り、少し容態も落ち着き常時付き添いは無くなった。

そうして今を迎えているが、今は頭部の腫れも引き脳梗塞としての危険性は減ってきている

しかし、左側の手足の動きは当初より悪くなった。

悪くなったというより、正しい症状になったという方が正しい気がする。

それくらい、頭部内部は悪い状態だった。

ただ、良かったのは言語系統はそれほど問題無いということ

本人もそうだが、周りの人間はすごく気が楽なきがする。

。。。

俺もなるべくかあちゃんへの接し方は、以前と変わらないようにしている。

2月17日 その2

すいません順番逆ですけど その2書きます。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

次に母ちゃんの兄貴つまり伯父さんに連絡してみる。

携帯は知らないので、自宅に連絡。出ない。焦る。

少し考えて、古くからの友人の名前が思い出せた。電話番号検索

おっ、携帯の番号も登録してあった。

電話してみる。・・・・・・・繋がった・・・・・・・・でた!

『おー○○どないしたん』

「あのな、母ちゃんが大変らしいねん。ほんでとりあえず行ってやって欲しいんやけど」

『えっ、おばちゃんもな、今病院やねん。』

うそ。早いなあ。

と、思ったらどうやら、自分の病気の方で違う病院にいるらしい。

んで、とりあえずあと2~3時間程かかりそうだが、終わったらそちらに向かうとのこと

『どこの病院なん?』と聞いてくる。

病院の名前を言うと、すぐ分かったとのこと

(どうやら、後から分かったが入院した病院は当たりの病院らしく【大学・国立ではない】

県内の私立の脳神経の方では有名らしい。地元の友達も知っていて、逆にまず病院の

名前を言ったら『えっ、ほな脳の方なん』と連想された。そういう意味ではよかった)

一通り連絡して、どうしようと考える前に、

母ちゃんの携帯から連絡が!!!

「もしもしっ、おいっどないしたん。大丈夫なんか?」

『あーーもしもし。看護婦さんから聞いたあ。入院することになったんよ』

『頭が痛くて、・・・・・・・・』その後の言葉は聞き取りづらく、判別つかなかった

声色が変わり『あー、息子さん?△病院の□□です。どなたか連絡取れました?』

「えっ、あのまだですけど(すいません、書いてから気づいたけど、この後に母ちゃんの

友達に連絡していた)親の方は大丈夫なんでしょうか」

『今はMRIの結果によりますが、おそらく脳梗塞の疑いもあります。ところで今息子さん

は東京ですよね。ちょっと来るのは掛かりますかね(時間が)』

ちょうど今仕事場は羽田空港だった。

私のすぐ20m近くを着陸したてのANAボーイング747が悠然と通りすぎる最中だった。

「大丈夫です。今羽田空港ですから」

看護婦さんびっくり、俺こんな流れにある意味感動。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

とにかくすぐに事務所に帰り

直近上司の課長へ連絡。コールしたけど留守電に。

留守電に「親が倒れたので帰ります」と残す。

次に今日予算決めの打ち合わせを行う予定だった先輩のところへ

「お疲れ様です。○○です」

『おーお疲れ。メールでもらったやつだけど、5時じゃ遅いなあ。もっと・・・』

言葉を遮り

「すいません。親が倒れたので。帰ります」

『???・・・・・・分かった』

この先輩この後も絡んでくれるが、実に迅速でなおかつ情報収集が早い

ちなみに後からの連絡で、乗った飛行機も調べていた

(おそらく同じように空席案内を調べたのだろう)

おかげで現在の状態で病院にいられるのもそのおかげだと思う。

ありがとうございます。K先輩

そのあと他業種の方(同じ事務所にいるひと)に連絡。

事情を話し、ちょっとフォローお願いすると、分かりましたとのこと

最後に元請の事務所へ(ウチの事務所の上にあるので直接向かう)

所長はいないが、課長がいたので訳を話し、この場を離れることを伝える

返事『あそう、分かりました。それでね、ここのこれなんだけどこれでいいの・・・・』

あえて書きませんが、普通の人が感じると思われる思いを感じました。

所詮別の会社の人間のことだから関係無いのか。普段なら心に引っかかりそうだが

そんなこと相手してる暇はないので、さっさとお答えして出てきた。

事務所戻る。ちょうど12時

まず、ネットで飛行機の空席確認する。

ANAの空席情報・・・・・・・本日は満席。マジでかい。やばいなあ、金曜やし

すぐさまJALの空席情報へ・・・・・・たのむよ・・・・・

普通に空席あり。しかも、午後便2本ともOK

そういえば、時事ネタ的には内紛だの、ちっさいミスなど散々たたかれていましたねえ

そらー、お金同じで時間もそんな変わらないなら、明らかに危なく無い方を選びますねえ

しかし、今の俺には関係なし。15時40分発抑える

とりあえず食欲があるのか無いのかよく分からないが、後で食べる暇も無いと思ったので

弁当を食う。うまいかまずいかわからない。途中でやめる。

そのあとは2時まで仕事をする。

どうなってるのか想像しても思いつかず、いい想像もしない。

なら仕事のこと考えている方がなんぼかまし。

で、いつもの倍くらいの勢いで仕事をかたづける。

3時第1ターミナルにてチケットを購入中に知らない携帯番号より電話。

でる。

『おー○○か、おいちゃんよ』伯父さん(母ちゃんの兄貴)だった

『どこにおるんぞ。いつ来れるんや』

「いま空港。これから飛行機乗るから」

『そうか、わし病院におるから着いたら連絡せい』

「(母ちゃんは)大丈夫なん。どない?」

『大丈夫やけど、先生も話あるみたいやからもんてこい(戻ってこい)』

久々に聞いた声だった。が、とにかく急がなくては。

売店でタバコを買い貯める(と、言っても2箱分)。なんか、そんな気分にさせられた。

俺を乗せたボーイング777は定刻を10分遅れで出発することとなった

その3へ

2月17日 その3

飛行機内では、何も考えなかった。考えられなかった。

まず、想像しても良いことは無い。現実を見てからだ!と思いつづけた。

もっていたR25(無料情報誌)を開いてみる。

普段なら、ふーん。おっ面白いなあ。なんて記事にも無反応だった。

ずっと気が張っていたのが弱まったのか、うつらうつらしてしてると地元に到着。

17時20分くらいだったかすぐにタクシーに乗り、病院へ。

よくドラマなら、飛び降りて受付に駆け込む。なんて感じだが、実際は

普通に降りて、階段にて3階へ。走ることも無く病室へ。だった

病室に向かう途中他の大部屋が見える。寝たきりの方の姿など見える。

気持ちが重くなる。

108号室に到着。すぐに伯父さんと友人の姿が見えた。

カーテンをめくると、横になっているが普通の顔色で普通にしゃべる母ちゃんがいた。

伯父『おー、帰ってきたか』

友人『あんた、痩せたねえ。』

母ちゃん『ごめんね、こんなんなって・・・』

いい意味でだけど、いつもと同じやないかい!て感じだった。

とにかくそんな外見は普段と変わらない。しゃべりも、よく母ちゃんを知っている人間ならちょっと言葉尻が変かもしれない程度。トイレも普通に一人で行ける。

違うといえば、右腕に射された点滴針がある位だった。

ふっと肩の力も抜けて、たぶん顔つきも落ち着いたのだろう。

伯父さんが『とりあえず、お医者さんところへ行こう』と言う、そして2人でナースステーションへ向かう。

いつもなら、看護婦さんがいっぱい!ええとこや~!!くらいの場所だが、

これから始まることを前にして、その空間とそこにいる人たちは、俺の意識から

離れていた。

お医者さんより説明が始まる。

『これがMRIの写真なんですけど』と脳ミソの輪切りの写真を見せられる。

母ちゃんの脳ミソである。なんか、見てはいけない物をみているようで落ちつかなかった。

『こちらの左側の真ん中当たりに黒い影がありますよね。ここが、いま血が流れてない場所です。』

『症状としては脳梗塞になります。結構ひどい状態です』

ちょっと文章じゃなんか、無愛想になってしまったが(実際はそんなことないです)

【文才のない俺・・・】

先に本人見ている分ほんとにそうですか?と思う部分はあった。

ただ面と向かって脳梗塞といわれて覚悟はしてたが、いろんなものが崩れてゆく

感じがした。

『これから麻痺とか出てくると思います。ただ症状によってはリハビリなどで長嶋さんみたいに

回復する例もありますから』

とにかく聞いてみた

「良くなるんですか?」

医者『とにかく今は点滴などで、詰っている血管を通りやすくしています。ただ脳という場所

だけに、手術する訳にもいかないので、しばらくは血管への薬剤の投与となります』

『その上で様子を見るしかないです。そのためには2~3週間ほど時間が必要です。』

とにかく生死のレベルまではいってないようだ。

医師は深刻そうに重いと言っていたが、本人みてそう思えなかった。

きっとMRIの写真は写りが悪いが、なーんだ大丈夫じゃん!みたいなところで

落ち着くと思った。

また、病室に戻る。

本人も知らされているらしく、ちょっと自慢気に母ちゃんが

『でっかいのあったろ。あれがいかんのよ』と話してきた。

「なんで、病院行け!言うとったのに行かんかったん。せやからこんななんねん・・・」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

実は1週間ほど前、伯父さんの息子(俺と同い年)が結婚すると母ちゃんからTELが入る

『あんた出るん?忙しいから無理せんでええよ』

「あほ。出るわ。身内の祝いなんやから、あんたらの仲(伯父さんと母ちゃん)は関係ない」

という会話をしていた。もっとも、上記の理由の他に帰って地元の友達の飲んだり

結婚式はある種、次の結婚式への布石でもあるので、どじょうを探したいななんて思うところもあった。

『しかし風邪が長引いていかんのよ・・・』

俺は母ちゃんから風邪引いたなど聞いたことが無い。

おそらく連絡しないだけで、そういうことはあったのだろうが決して俺には言ってこない人だと

思っていた。

変だ。まずい。

「それあかんよ、病院いったん?」

『いや薬はこうて(買って)きて、飲んでるけど・・・・』

「あのな、あなたに初めて命令する。病院に行け。あとで確認するからな!」

初めてここまできつく言った。そのくらい気持ちに引っかかった。

2月14日 メールで確認を求めたが返ってきていなかった。

その時に何か出来ていたかもしれない・・・

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

病室で母ちゃんから前日からのあらすじを聞く。

母ちゃんは頭痛持ちで、肩こりからよく頭痛を起こしていた。

これはどうやら遺伝しているらしく、じいちゃんがそうで、母ちゃんの姉さんもそうらしい

今年に入り風邪を引いたらしく、ずっと直らなかったらしい

(今思うとだが、風邪ひくと肩がこってくるがその肩こりと頭痛が繋がっていたのではないのかと思う。

つまり脳梗塞による頭痛の前触れ→肩こり→風邪といった逆解釈を母ちゃんはしていた

可能性もある)

そして入院の前の日から頭痛はひどくなり、また麻痺の症状も出ていた。

気がつくとよだれが落ちていたらしく自分でもおかしいと思ったらしい。このとき

救急車を呼ぼうか迷ったらしいが、薬を飲んで寝たら直るだろうと無理やり寝たらしい

翌朝、遅刻などしない母ちゃんが遅刻していたらしい。

会社の同僚からの電話で起こされた。すでに言葉はおかしい状態だったが、

母ちゃんは着替えて出勤したようだ

(この辺本人も自覚症状はあった)

だが出勤先で明らかにおかしい為、同僚の人たちが、帰って病院へ行くように言った。

それで母ちゃんも決心して家に帰り、タクシーで今の病院へ来たということらしい。

普段大病などせず、入院などしたことも無い。タバコ・お酒もとらず、質素だけどおそらく

健康的な生活をしていたのだと思う。ただ几帳面・気難しい部分がありストレスの発散

するのは苦手な人だとは思っていた。(ま、同じ血を引いてるから多少同じかなと思う部分もある)

これは、この後のもっとそう思う節が色々でてくる。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

一通り、話したあと、伯父さんに留守番してもらって

母ちゃんの友人と家に着替えとか取りに行くことになった。

だいぶ安心したせいか、俺もよく喋るようになっていて普通に世間話する余裕もあった。

友人の車(俺運転)にて家に到着。

家はその病院から1kmくらいだと思う。

なにせ、病院の前の通りをまっすぐ行って、一回左折するだけ。

近いとこにあったのも、何かよかったのかもなんて思ったりもした。

久々に帰る。

思えば正月には帰ってなかったので、昨年のGW以来である。

でも大体帰る周期は1年~1年半くらいでそういった意味ではまだいいかなと

鷹をくくっていたのだが、こんな形になるとは。

部屋に入る。1DK。6畳間とキッチンのみ。

それも、建物が古いので、便所は和式(バス・トイレ別)風呂は物干し場になっていた

(お風呂は近くに温泉があるので、狭い風呂は使っていなかった。

また、2日置きくらいに入浴していたようだ)

まず、こたつ机の上が散らかっていた。

そしてベットの上には脱いだものが散乱していた。

こんなこと、母ちゃんではありえない。

つまり、それほど入院前から症状がでていたことを意味していた。

そのことに、再度恐怖感を覚えながら、着替えなどを用意していた。

友人はこういうのになれていて必要なものを指示してくれた。

着替え(下着・パジャマ)、サンダル、ティッシュ、歯ブラシ、入浴用具、タオル(大・小)

携帯の充電機、コップ

途中コンビニで水とお茶と簡易コップを購入病院へ戻る。

戻ってしばらくして、旅行先から親戚が帰ってきたらしく、病院に来た。

そんなこんなで、時間は9時になっていた。

出入りの制限が9時でこの後は出れなくなることから、容態も穏やかそうなので

その日はみんな帰ることとなった。

俺は仲のいい友達に電話して、とりあえず一緒に飯喰うこととなった。

また、本来明日会うはずだった友達には電話して現状を伝えた。

皮肉なもんである、俺が地元にいて、友達は関東にいる。

ほんとは、土曜はサッカー日本×フィンランド戦を浦和のスポーツバーで

見る予定だった。俺も結構行きたかった。(そんなん行く機会なかったし)

友達に迎えに来てもらって、居酒屋に行く。

友達は晩飯食っていたので、あまり喰わずまたノンアルコール。

(本当ですから、やっぱ罰金怖いし)

俺は、だいぶ安心したのもあり、ビール中ジョッキ2本ほど飲んだ。

一人でべらべら喋っていた。友は黙ってそれを聞いていてくれた。ありがとう

12時、送ってもらって帰宅。

主のいない家へ戻る。

と、まず保険関係とかないか、物色する。

そのなかで日記を発見する。

今年から書いているぽい。

日記といっても、週間予定のちいさなコマにメッセージ程度だったが、

なんか、こういう物がある自体何かを発散させようとしていたのではないかと

考えるには十分の物だった。

ごめんな。何か俺にも出来たことがあったはずだったのに。

そうして電気カーペットの上にそのまま寝てしまった。